北海道(9)洞爺湖畔・ニセコ神仙沼(しんせんぬま)

洞爺湖畔の有珠山は2000年3月31日に洞爺湖温泉に近いところで噴火し、温泉街は大きな被害を受けた。
ポンペイ悲劇の再来かとさえ思われたが、復興再開は早く、訪れると、あの被害にあった町かと思うほど活き
返っていました。それは、噴火で壊れた建物を観光材料にして観光客を集めている。活性力があると言えば
そうだが、壊れた民家や小学校を背景に記念写真を撮って売ろうとするツアー主催会社等には、エゲツナさを
覚えた。他人の不幸を糧にしている見苦しいことを自省すべきだと感じた。
一方、真狩の高原を抜け、蝦夷富士として優美な羊蹄山を見ながら、ニセコ高原に見つかった神仙沼は、神や
仙人の住むような清々しい地で、気持ちが洗われ、救われた。

洞爺湖畔、噴火の金毘羅山近くで破壊され封鎖した日本石油のガソリンスタンド。
手前に並ぶ袋は、立ち入り禁止している境界で、1トン近くの土嚢の並び。日石の
ガソリンスタンドは、この後、三菱石油と合併し日石三菱として、建物の色も全国的
に炎の朱色に変わった。ガソリンスタンドの向こうに噴火している煙が見える。

虻田町小学校は一階の部分が半分の高さまで噴火の泥流に埋まっている。
学校は無論、閉鎖中で他に臨時のものを建てられたのでしょう。子供の姿が
見えないだけに痛ましさが一際伝わってくる。


ツアー会社は団体写真を撮って、希望者に売っている。この写真を撮る為に、
無理に並ばせる。私は、そのような写真は嫌いで、このように並ばされることが
不愉快でしかなかった。他人の不幸をネタにして、この虻田町の噴火被害地を
商売にするようなことには、腹の虫が納まらず、こちらから写真を撮ろうとする
そのもの達の写真を撮って置いた。彼がシャッターを切る瞬間は、私は後ろ向きに
なって、この場所を離れた。

土石流で壊れた気の毒な家。三宅島の噴火でもそうですが、ここでも立ち入り
禁止の時に空き巣泥棒が多く行われたそうです。全く、許せないことです。局刑に処すべきです。

噴火の被害状況を説明する虻田町の看板。中央上部の有珠山とその左上の昭和新山が
今まで噴火していました。中央の揃い噴煙の群れが今回の平成の噴火で新しく噴煙が
出るようになったところ。左下が洞爺湖。

観光バスは湖畔から500mほど有珠山側に上ったところに駐車し、噴火の被害にあった
ところだけを見せて観光を終えた。背後には綺麗な洞爺湖が見えるので私と数人は湖畔
まで急ぎ、美しい風景を眺めた。ツアーのあり方に本末転倒したものを覚えた。

こんなに美しい風景が日常だった湖畔なのに、観光のポイントがずれてしまっている。
人のこころもずれているように思えた。

洞爺湖からニセコへの途中、留寿都村に童謡「赤い靴」母思像がある。
〜「赤い靴は〜いてた女の子、異人さんに連れられていちゃった」。

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野口雨情の作詞で知られる童謡「赤い靴」の舞台でもある留寿都村。
開拓期の母娘の悲哀に満ちた思い出は、村のシンボル「母思像」として
今も語り継がれています。「開拓の母像」、「母思像」共に米坂ヒデノリ氏
が制作されたものです。

幼いきみちゃんを、外国人に託して、きみちゃんの母は開拓地留寿都村に
入植しました。きみちゃんはアメリカ人の宣教師夫妻に引き取られたのですが、
その当時不治の病といわれた結核にかかってしまい、わずか9歳でこの世を
去ってしまったのです。
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(留寿都村HPよりコピーしました)

ニセコ高原。

ニセコ・パノラマラインと言う道路から熊笹と蝦夷松と白樺の中の木道を1kmほど歩き、
神仙沼に出る。澄んだ沼が広がる。神聖な領域の感じがする。

高嶺の高地にこんなに広がる沼があるとは思えない。
最近になって発見されたようです。
厳しい管理をして、いつまでも残して欲しい。

かっての娘さん達。この連中にはシャッター切りを何度となく頼まれた。
私も、切って貰ったが、良くは写ってなかった。

と、言うことだそうです。人目には付いてあまりの時間は経てない。
あまり、手垢の付いた感じがなくて良かった。

雲間の青空に白樺が大きく伸び広がっていた。

展望台からは岩内町と日本海が見える。岩内は1954年に台風の下で大火に遭った町だ。
その台風は洞爺丸連絡船を沈めた。悲惨が重なった時だった。

(北海道(10)「小樽」に続く)




  

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