善通寺本山(香川県善通寺市)
(2003年4月30日、5月1日撮影)

空海(弘法大師)の誕生の地。
空海自身の遺談をもとにした『御遺告(ごゆいこう)』の第一条に書かれいる。
「わが父は佐伯氏にして、讃岐国多度郡の人なり。むかし敵毛を征し、班土を被れり」とある。
東国の毛人の征伐に功をなし、讃岐の土地を貰った家系で、華やかな豪族であったらしい。
空海は18の時、国の役人になるために当時の都である奈良の大学にはいる。そこを卒業すれば
多少なりとも官史として栄達が望めなくはなかったが、もとより習う国学は、彼が求めて止まなかった
大宇宙への求道の理解には何の役にも立たなかった。そして、19歳の時に、大学を止め、四国の
険しい山野に身を投じて、密教の道を求めたのであった。やがて、飛鳥の久米寺に求める経・大日経
があることを知り、大日経、華厳経を読破するが、最後の「仏陀との交感」のことが理解できずにいた。
時は唐に天台宗祖最澄を遣唐使として赴かせる時に、一介の学僧として同じ船団に乗る。45日間、
東シナ海を漂い、苦労して長安に入った。2年経て、唐より帰り、真言宗を開くことになる。善通寺は
真言宗の三大本山にひとつである。札所としては第七十五番だが西院(御影堂)と東院(薬師堂、五重塔)
とがあり、大きな寺だ。



済世橋






御影堂(大師堂)の額に「弘法大師誕生の場」とある。






第2代ホトトギス派主幹・高浜年尾の俳句
「お遍路の 美しければ あはれなり」

お遍路さんの立場を理解してない第三者の勝手な詩のように見える。




翌朝、市内のホテル屋上から撮る





反対側が門前町・善通寺市内中心部
五重の塔が善通寺本山。
山は手前から香色山、筆の山、我拝師山





西院仁王門






東院・五重の塔






大楠と佐伯祖廟(佐伯父母の廟)






早朝の参拝者






薬師堂(本尊)


    

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